“できない自分”を受け入れたら、ゴルフが楽しくなった
練習ではうまくいくのに、本番ではなぜか崩れてしまう。
あの努力は何だったんだろう──
そんなふうに落ち込んだ日、
私は“努力では届かない世界”があることを知りました。
練習すれば報われる。そう信じていました
ゴルフを始めた頃の私は、とにかく努力して上手くなりたいと思っていました。
同じやるなら少しでも上手くなりたいと。
スクールに通い、仕事終わりの空いている夜はできるだけ打ちっぱなしに行っていました。
「努力は裏切らない」
そう信じていたのです。
だからこそ、練習では上手くいっても、コースに出ると信じられないほど打てない自分に、何度も心が乱されました。
あれほど頑張ってきたのに、なぜ結果が出ないのか。
まるで努力が無駄になったような気がして、自分の才能のなさを責める日々が続きました。
なんとなくスコアも良くなってきたかと思えば、突然できなくなる。そして、クラブの振り方すらどうすれば良いかわからなくなる。
感覚は人それぞれだからこそ、スクールで習っても何が正しいか迷走し、退会してしまった。
才能と努力。そのあいだにある“向き不向き”
ある日、ふと思ったのです。 「努力しても結果が出ないこともある」という現実を、受け入れる勇気が必要なのではないかと。
運動には、センスや身体感覚のように、どうしても“持って生まれたもの”が影響します。
それは、デザインの世界にも似ています。
真っ白な紙を前にしても、何を描けばいいかわからない人がいるように、ゴルフにも“理屈では埋められない感覚の世界”があります。
「芸術家」と「クリエイター」は違います。
芸術家は、発想や感性から新しい世界を生み出す人。
クリエイターは技術を磨き、ゴールに向かって、整理し、結果に導くデザインへと整える人。
そして、ゴルフはどちらかといえば芸術に近い。
技術だけでは届かない、“感覚の領域”があると感じています。
“結果”を手放したら、見える景色が変わりました
努力を否定したいわけではありません。
これからも努力は続けていきます。
けれど、「努力すればできるはず」という固定観念をそっと手放してみたとき、気持ちが少し楽になりました。
スコアに一喜一憂することが減り、“自然の中にいる自分”を感じられるようになったのです。
風の音、木々の香り、クラブを振り切れた瞬間の爽快感。
その一つひとつが、私にとってのご褒美でした。
「上手くなりたい」よりも、「この時間を味わいたい」に変わった瞬間、ゴルフがまた楽しくなりました。
できない自分を受け入れることは、あきらめではありません
最近ようやく思うのです。
できないことを受け入れるのは、“あきらめ”ではなく“成熟”なのだと。
頑張ることをやめるのではなく、“力を抜くことを選べる”ようになること。
それが、少し大人になった自分へのご褒美のように感じます。
ゴルフは、私にその感覚を教えてくれました。
そして、この感覚はきっと、人生にも通じています。
おわりに ― “整う時間”としてのゴルフ
練習場ではなく、自然の中で風を感じながらクラブを握る。
完璧ではなくても、真っすぐに振り抜けたときの音が心地よく響く。
今では私にとって、「心を整えるための時間」になりました。
森の中で静かにスイングする。 その一球の先に、少しだけ自由がある気がします。